夫婦別姓、なぜ認められない?夫婦同氏が続く理由を判例で理解しよう−裁判・判例から考える。翻訳シリーズ−

こんにちは。リーガルライターの法崎ゆいです。

法律をわかるためには、判例を知るのがとっても有効だと思います。でも、判例って専門用語や裁判官独特の言い回しが多くて、わかりづらいですよね。

そこで、むずかしい言葉をわかりやすく翻訳する、判例翻訳シリーズを更新していきます。


実際の裁判では、どんな理由で、どんなふうに論理展開されて、どんな結論になり、現在のような法的ルールになっているのか、判例から理解してみましょう。

判例って、裁判官が論理的に展開しているので、理解できれば納得感が生まれて法律がもっと楽しくなります。

そして、「こんな法律ないほうがいい」「なぜこんなルールなの!?」と思っていても、判例を知ると、案外納得できるなんてことも、あるかもしれません。


日本で夫婦別姓ではなく夫婦同氏が続く理由は?

今回は「どうして日本は、夫婦別姓ではないの?」「夫婦同氏じゃなければいけないの?」という疑問に応える判例です。


近年、別姓にするべきだと考える方が増えていますよね。

日本弁護士連合会も、以前から別姓を実現するために動いています。2024年6月14日にも「誰もが改姓するかどうかを自ら決定して婚姻できるよう、選択的夫婦別姓制度の導入を求める決議」として正式な意思表示をしました。

このような夫婦別姓議論においては、たびたび「人権侵害ではないか」という議論がなされます。でも、いまのところは、夫婦同氏制度は合憲(=憲法に合っている=憲法違反ではない=人権侵害していない)ということになっています。

判例「最高裁判所大法廷 平成27年12月16日 判決」を、少しずつ翻訳しながらご紹介します。


名字は「個人」だけではなく、「家族」という社会の基本単位の呼び名

「氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきである。

◇翻訳◇

名前は、社会の中では人を区別するための目印のようなものです。

そして、その人にとっては、自分が1人の人間として大切にされるための“象徴”でもあり、人格(人としての尊厳)と結びついた大事な権利の一部だといえます。


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「しかし、氏は、婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから、氏に関する上記人格権の内容も、憲法上一義的に捉えられるべきものではなく、憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである。」

◇翻訳◇

でも、“名字(氏)”のほうは、結婚や家族制度の中で法律によってルールが定められているものです。

名字に関する人格(人としての尊厳)も、憲法だけで一概に決まるわけではなく、憲法の考えを踏まえて法律がどう定めているかによって、具体的に決まるものです。


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「民法における氏に関する規定を通覧すると、人は、出生の際に、嫡出である子については父母の氏を、嫡出でない子については母の氏を称することによって氏を取得し(民法790条)、婚姻の際に、夫婦の一方は、他方の氏を称することによって氏が改められ(本件規定)、離婚や婚姻の取消しの際に、婚姻によって氏を改めた者は婚前の氏に復する(同法767条1項、771条、749条)等と規定されている。」

◇翻訳◇

民法のルールを見てみると、

・結婚している両親の子なら両親の姓を、結婚していない場合は母の姓を使う

・結婚のときは、夫婦のどちらか一方がもう一方の姓に変える

・離婚や婚姻の取り消しのときは、結婚前の姓に戻る

というふうに定められています。


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「また、養子は、縁組の際に、養親の氏を称することによって氏が改められ(同法810条)、離縁や縁組の取消しによって縁組前の氏に復する(同法816条1項、808条2項)等と規定されている。これらの規定は、氏の性質に関し、氏に、名と同様に個人の呼称としての意義があるものの、名とは切り離された存在として、夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより、社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。」

◇翻訳◇

さらに、養子縁組をするときは養親の姓に変わります。離縁などをすると元の姓に戻ると決められています。

こうしたルールから考えると、名字は、名前のように「個人を呼ぶため」だけではなく、家族全体の呼び名としても意味を持っていて、「家族」という社会の基本単位を表すものでもある、という考え方が見えてきます。

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「そして、家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから、このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。氏に、名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば、氏が、親子関係など一定の身分関係を反映し、婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは、その性質上予定されているといえる。」

◇翻訳◇

家族は社会の中で自然で基本的なグループです。

だから、“個人の名前の一部である名字”を、その人が属する家族を連想させるように1つにそろえることにも、ちゃんとした理由(合理性)があるといえます。

名字には「家族の呼び名」という性質がある以上、親子関係や結婚など、家族関係が変わるときに、名字が変わることは、自然に想定されているということです。


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「以上のような現行の法制度の下における氏の性質等に鑑みると、婚姻の際に『氏の変更を強制されない自由』が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。本件規定は、憲法13条に違反するものではない。」

◇翻訳◇

そのような今の法律制度をふまえて考えると、「結婚のときに名字を変えなくてもいい自由」は、憲法で守られた人格権の一部だとはいえません

したがって、この「夫婦どちらかの姓を選ぶ」という民法のルールは、憲法13条(個人の尊重)に違反しないという結論です。


夫婦は2人の話し合いで姓を選べる=法の下の平等は守られている

「本件規定は、夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており、夫婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって、その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない。我が国において、夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めることが認められるとしても、それが、本件規定の在り方自体から生じた結果であるということはできない。したがって、本件規定は、憲法14条1項に違反するものではない。」

◇翻訳◇

この法律(民法750条)は、「夫婦のどちらか一方の姓を名乗る」と定めており、どちらの姓にするかは2人の話し合いで決められるようになっています。

つまり、文章上は男女どちらかを差別しているわけではありません

日本では実際、ほとんどの夫婦が夫の姓を選んでいますが、それはこの法律が差別的だからというより、社会の慣習など別の理由によるものです。

したがって、この制度は憲法14条(法の下の平等)に反しているとはいえません


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「婚姻に伴い夫婦が同一の氏を称する夫婦同氏制は、旧民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され、我が国の社会に定着してきたものである。前記のとおり、氏は、家族の呼称としての意義があるところ、現行の民法の下においても家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ、その呼称を一つに定めることには合理性が認められる。」

◇翻訳◇

夫婦が同じ姓を名乗る「夫婦同姓制度」は、明治31年(1898年)に旧民法で取り入れられ、長い間日本社会に根づいてきた制度です。

さきほど述べたように、姓(氏)は家族の呼び名としての意味を持っており、家族を社会の基本的な集まりとして1つの姓でまとめることには、それなりの理由(合理性)があるとされています。


両親と同じ姓を名乗ること=子どもにも一体感を与える

「そして、夫婦が同一の氏を称することは、上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有している。特に、婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ、嫡出子であることを示すために子が夫婦の共同親権に服す親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また、家族を構成する個人が、同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。」

◇翻訳◇

そして、夫婦が同じ姓を名乗ることには、「この人たちは1つの家族のメンバーだ」と外に示す役割があります。

とくに、結婚によって生まれた子ども(嫡出子)は両親の共同親権に入り、両親と同じ姓を持つことで「この子は結婚している夫婦の子どもである」ということを示す意味もあります。

また、家族全員が同じ姓を使うことで「私たちは同じ家族なんだ」と感じられることにも価値があるという考え方も理解できます。


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「さらに、夫婦同氏制の下においては、子の立場として、いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。加えて、前記のとおり、本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではなく、夫婦がいずれの氏を称するかは、夫婦となろうとする者の間の協議による自由な選択に委ねられている。」

◇翻訳◇

子どもの立場から見ても、両親のどちらとも同じ姓であることは、家族の一体感や社会的な理解のうえでプラスになります。

また、この制度自体は男女のどちらかを優遇しているわけではなく、夫婦が話し合って自由に選べる形になっています。


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「夫婦同氏制の下においては、婚姻に伴い、夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ、婚姻によって氏を改める者にとって、そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり、婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用、評価、名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。」

◇翻訳◇

ただし、この制度のもとでは、結婚する2人のうちどちらか一方は必ず姓を変えなければなりません。

そのため、姓を変える人は「自分らしさ(アイデンティティ)を失った」と感じたり、仕事や社会生活の中で築いてきた信用や名誉を保ちにくくなったりすることがあります。

このような不利益があることは否定できません


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「そして、氏の選択に関し、夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば、妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには、夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために、あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。」

◇翻訳◇

現実には、ほとんどの夫婦が夫の姓を選んでいるため、姓を変えるのは主に女性側です。そのため、女性が上のような不利益を受けやすい状況になっていると考えられます。

また、こうした不利益を避けたいという理由で、あえて結婚しないカップルもいると見られます。


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「しかし、夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく、近時、婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ、上記の不利益は、このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。」

◇翻訳◇

ただし、この制度は「結婚前の姓を使ってはいけない」と決めているわけではありません

最近では、職場などで結婚前の姓を“通称”として使うことも広まっています。そのため、姓を変えることによる不便や不利益は、ある程度は軽くできるともいえます。


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「以上の点を総合的に考慮すると、本件規定の採用した夫婦同氏制が、夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても、このような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって、本件規定は、憲法24条に違反するものではない。」

◇翻訳◇

これらのことを総合的に考えると、たとえこの制度が「夫婦が別々の姓を選ぶことを認めていない」ものであっても、現時点では「個人の尊重」や「男女平等」という憲法の理念に反しているとまではいえません

したがって、この制度は憲法24条(個人の尊厳と両性の本質的平等)にも違反しない、という結論です。


まとめ

いかがでしょうか。私がこの判例を読んだとき、もっとも腑に落ちたのは「両親と同じ姓を名乗ること=子どもにも一体感を与える」という点でした。

私の感覚では、子どもが安心して「自分はこのお父さんとお母さんの子なんだ」と思えるという恩恵は大きなものだと感じました。でも、これは、おそらく自分が育った環境が影響する、私の感情論です。

もちろん、さまざまな状況の家族があるので、これが一概になにがよいことだとはいえません。実際、夫婦別姓を支持する人がたくさんいるのが事実です。

なので、「自分はどう思うのか?」、みなさんが自問自答して、ご自身の意見を育てるために、法的な見地も踏まえて考えみていただけたらと思います。