法の世界は、とっても優しい。リーガルライターの私が経営者を辞めて法の道を志した理由
こんにちは。リーガルライターの法崎ゆい(ほうさきゆい)です。
今回は、法の世界の素晴らしさを少しでも多くの方に知ってもらえればと思い、私自身がどうして法の道を志したのかをお伝えしながら、法の魅力について書いてみます。
実は私は、数年前まで会社経営をしていました。そして事業譲渡をし、いまはフリーランスで活動しています。現在30代の女性です。
経営者には法律問題が付きもの!?
実は、経営者をしていたとき、法律問題で困ったことが何度かあります。それに、私の周りにも経営者や個人事業主の友人が多く、法律トラブルに巻き込まれる友人たちも少なくありません。
契約トラブル・著作権侵害・支払い遅延・パワハラなど、さまざまな法律問題に実際に接してきました。
身近で起こる法律問題を通じて、弁護士さんに助けてもらったこともたくさんありましたし、自分がもっと法律知識を持っていれば……と悔しく感じることもありました。
そもそも私は、10代のころに法律を学びたいと思って法学部に入った過去があります。でも、10代のころは勉強をしても専門用語がむずかしくて、トラブルに見舞われた経験があるわけでもないので体感として理解ができないので、すごくむずかしく感じていました。
何となく単位を取るだけだったんです。
でも、20代後半になり、経営していくなかで自分や周りがトラブルに直面するたびに「もっとしっかり勉強しておけばよかった」と思うようになったんです。後悔していてもはじまらないので、徐々に「やっぱり法律を学び直そう!」と思うに至りました。
こう書くとポジティブそうに思えますが、自分や大切な人の周りに、法律問題に発展するほどのできごとが起こっているわけなので(詐欺まがいのことなどに遭いましたし)めちゃくちゃ憤りを感じることも多かったです。
でも、常に楽しさもあったんですよね。法律を肌で感じて、体感として理解できていく感覚がすごく楽しかったんです。やっぱり法を勉強したいと考えた10代の自分の直感は正しかったんだと思います。
実際に起こったことにおいて、訴状や告訴状を読むのも好きでした。怒っている自分とは別のもう1人自分が、知的好奇心を持ってワクワクと読んでいたような感覚がありました。
法の道に進んだ深い動機を、あとから見つけた
法律を学び直すといっても、何から始めたらいいのかな?と考えるなか、予備試験の勉強をしてみたりしましたが、予備試験は司法試験の手前の試験であり、めちゃくちゃ高度なんです。
なので、もっと基礎からもっと広く法律を学び直したいと思うようになりました。
そこで、法学部に入り直すことにしました。
リーガルライターのキャリアが拓けたのは大学に入り直した行動力や、それ以前に広報関係でライターとしてのキャリアも築いていたことが大きく影響したと思います。
また、何かしら自分のレベルを目に見える形にしようとビジネス実務法務やビジネス著作権などの検定を受けて合格しました。2025年に入ってからは、行政書士の資格試験の勉強をしています。このような勉強意欲も、リーガルライターとして取引してくださる企業さまが増えていった理由だと思います。
そうして勉強を進めていくなかで「ああ、だから自分は法の道をあらためて志したんだ!!!」と納得する瞬間がありました。
それは、弁護士であり司法試験予備校の校長でもある伊藤真先生の言葉に出会ったときです。
日本評論社から出版されている『法学入門』という書籍の一部なのですが、以下に大胆に引用させていただきます。
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「たとえば、憲法の人権の原理から物事をみると、ここには勝ち負けという概念はありません。また、仮に経済の原理で負けた者、弱い者がいたとしても、これらを排除し淘汰していくのではなく、その弱い者、負けた者をも取り込んで仲間としてともに生きていくということを考えていきます」
「結果がすべてという成果主義とは異なり、結果にいたる過程、プロセスをとても大切にしていきます」
「そもそも人が生きるということは、その生きていく過程そのものに価値がある、そのプロセスにこそ意味があるのだと私たちは考えるわけです」
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これらの言葉に出会ったとき、深く心を打たれました。
経済合理性を追求しなければならない、経営者
実は私は、強者だけがどんどん強くなっていく経営の世界に、少し窮屈さを感じていました。もっと上を目指して、もっと効率よくして……というのは、なんだか自分の性に合わなかったんですね。
広報のお仕事自体は大好きでした。広報に関連して文章を書くことも。そして、一緒にお仕事をしてくれるスタッフさんたちや取引先も、大好きでした。
だけど「経営」は向いていなかったと思います。
弱者も安心して暮らせる平和な場所にいるほうが、自分は幸せに感じるなと。
もちろん、経営者の方々がたくさん稼いでたくさん税金を納めれば、それが弱者の保護に回る予算となる……という循環も確実にあります。
だけど、一方で、富む者だけがどんどん富むという世界があることも確かです。経営者のなかには最大限の節税をする方も多いですし、借金をしている企業も多い(本当に富んでいると言えるのか謎に思うことも多い)です。
それに、私自身としては、効率が悪くても、利益率が悪くても、こだわって本当によいものを作っていきたい。そんな風に思うことのほうが多かったんです。
また、「世の中をよくした結果として、その分お金が稼げている」というような経営者の方々の美しげな言葉を聞くことも多いのですが、一方ではやはりズルをしたり、騙したりして儲けている人たちもたくさん見てきました。なので、その言葉を信用しきることもできません。
もちろん、ほんとうに素晴らしいものを生み出してくれていて、経済を回してくれている企業があるからこそ、私たちにもさまざまな恩恵があるわけで、素晴らしい経営者はたくさんいます。
実際、私の友人にも利益も、自分たちの美学や正義も、どちらもバランスをとりながら追求している人たちがたくさんいます。
つまり、白か黒かで割り切れるものではなく、自分がどう感じるか、自分がどう生きるのか次第なです。
でも、1つ、経営者として共通して絶対にしなければならないことは経済合理性を追求することですよね。そして、私自身は経済合理性を追求する生き方には馴染みきれなかったんです。
法の本質にある優しさを追求したい
法についても、むずかしくてとっつきにくくて、冷たいイメージさえ持っている方もいるかもしれません。それに、伊藤先生もよく書籍内で書かれているのですが、法律は完璧ではありません。時代や状況によって変わっていくものだったりします。
でも、その根底には、人が人を(どんな人であっても)尊重する“温かさ”“優しさ”があると思います。
私は、その根底にあるものに惹かれたんだなと、伊藤先生の言葉を読んだときに感じました。
私としては、誠実に社会をよくしようとしたり、目の前のことに一生懸命に取り組んだり、周りの人を思いやったりしている人たちこそが、なるべく報われる世の中であってほしいなと思っています。
強者だから弱者だから、お金があるからお金がないから、健康だから病気だから、学歴があるからないから……。そういうことで回っていく社会ではなく。
だからこそ、私の場合は、経営者としての経歴・キャリア・スキル・人脈などを磨き続けるよりも、またゼロからのスタートになったとしても、法の道に進みたいと思いました。
もちろん、法律家にもいろんな人がいます。お金儲けに走る人もいれば、クライアントから報酬をもらっているのにろくな弁護をしない弁護士もいると聞きます。
私自身は素晴らしい弁護士さんと出会ったことのほうが多かったけれども、そうではない方も、確かに、残念ながらいました。
でも、法の本質にある理念に、私は強く共感しています。
どんな人も自分らしく生きることだったりとか、どんな人も平和に暮らせることだったり、誇らしく生きられる社会だったりとかを追求しようと努めていく。そんな法の世界で生きていくことは、私にとってすごくやりがいのあることです。
そして、法の魅力が多くの人に伝わって、もっと法的知識が普及して、もっと安心して暮らせる人が増えるといいなと思っています。
まとめ
憲法の根底には勝ち負けがないとしても、訴訟となると勝ち負けの概念があるわけで。今回書いたことは、きれいごとだと感じる方もいるかもしれません。
でも、たとえば、裁判所は、刑事事件であっても初犯なら刑罰をなるべく軽いものにする傾向があります。犯罪者ですら人権を守られる日本です。やはり、人として尊重するという概念は根底にあるんだと感じます。
私は法の世界がとても好きです。
何より、法を知ることは、自分や大切な人を守ることにつながります。ぜひ、わかりやすい入門書から、法の世界を知ってみてほしいです。本文内で引用させていただいた『法学入門』はとくにおすすめです。
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