善意・悪意って?性格や内心の話ではありません−民法で、自分と大切な人を守る−

こんにちは。リーガルライターの法崎ゆいです。善意・悪意という言葉は日常会話でもよく聞きますよね。

たとえば、「善意」と聞くと、親切な人やいい人のイメージが思い浮かぶのではないでしょうか。逆に「悪意」は、悪気を持って何かマイナスなことをすることが思い浮かぶかもしれません。

でも、民法の善意と悪意は、こういった性格や内心の話ではないんです。


民法の善意と悪意は、性格や内心の話ではない

民法でいう善意・悪意は、性格とはまったく関係ありません。

法律の世界で「善意」というと、「ある事実を知らないこと」を指します。そして「悪意」は、「ある事実を知っていること」を指します。

つまり、民法上の善意・悪意は、“事実を知っていたかどうか”というシンプルな線引きなんです。


そして、民法との関係では、知らないこと=善いことで、知っていること=悪いことという状況になりやすいので、そんなイメージを持っておくと理解しやすいです。

たとえば、「その土地には実は別の所有者がいた」という事実を知らずに買ってしまった人のことを、民法では「善意の第三者」と言います。よく出てくる言葉です。

そして、「別の持ち主がいると知っていながら買った人」は「悪意の第三者」ということになります。

なぜ、前者が善意で、後者が悪意なのでしょうか。次のような事例を見るとわかってくるかもしれません。


善意か悪意かで、権利関係が大きく変わる

民法では、「善意であるかどうか」で、権利の有無や保護されるかどうか大きく異なります。


たとえば、不動産の売買に関する場面を考えてみましょう。

AさんがBさんに、勝手にCさんの土地を、売ったとします。

このとき、Bさんが「Aさんがこの土地の所有者だと思っていた(=Cさんの土地だと知らなかった)」なら、Bさんは善意の第三者です。

そして、本当の所有者はCさんですが、Bさんがそれを知らずに不動産登記という登録をおこなえば、CさんよりもBさんの権利が優先されます。


でも、Bさんが「この土地は、本当はAさんのものじゃない(=本当はCさんの土地だ)」と知っていたなら、つまり悪意だったなら、Bさんの権利は保護されません。

なぜなら、AさんやBさんが、わざとCさんに損をさせているように捉えられるからです。

このように、同じ行動でも「善意か悪意か」で、まったく結論が変わってしまいます。


「知らなかった」で通用する?善意と無過失

じゃあ、「知らなかったふりすればいいの?」と思うかもしれませんが、そう簡単にはいきません。

民法では、よく「善意」だけでなく「善意かつ無過失」であることが求められます。無過失とは、過失がないこと。過失とは、うっかりミスだと考えてもらうといいと思います。

「知らなかった」だけじゃなくて「知らないことについて落ち度がなかったか」も重要なんです。

たとえば、盗品の売買があったとしましょう。「盗品だと知らなかったから、騙された」と訴えたとしても、「普通に注意していれば気づけたよね?」とされれば、それは、過失があったとして保護されない可能性があるんです。

ブランド品なのに安い価格で取引された場合や販売ルートが不自然だった場合などには、善意無過失とは言えないと判断されやすいでしょう。

「知らなかったこと+知らないに落ち度がなかったこと」がセットで求められる場合がある、というのは覚えておきたいポイントです。


まとめ

民法でいう善意・悪意は、行動の背景にある「知っていたかどうか」を問うものです。善い人・悪い人という話ではありません。

そして、「知らなかった」からといってすべてが許されるわけではなく、知らなかったことに落ち度がないか(無過失か)が問われることも多くあります。

取引や契約などの大切な場面では、「本当に大丈夫かな?」「調べるべきことは調べたかな?」と自分に問いかけることが、自分を守る第1歩になります。